3月の投稿書籍

虚  貌 上虚  貌 下半七捕物帳ふたたびの加奈子
グランド・フィナーレ
螺鈿迷宮 小さいおうち陰陽師 醍醐ノ巻
インストール蹴りたい背中神      曲水曜の朝 午前三時
日本国憲法を口語訳GlRL FRIENDS淫らな罰幸福な食卓

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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

幸福な食卓 瀬尾まいこ

幸福な食卓

「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
家族全員が揃う朝ごはんの食卓で、父さんが宣言した。
春休みの最終日だった。
我が家ではこの朝食時に、それぞれの重要事項を
告白するのである。
母さんが家を出ることも、直ちゃんが大学を辞めることも、
朝の食卓で知らされた。

中学校で社会科を教えて21年めになる父さんは、まず仕事を
辞めようと思っていると言い、これからは父さんのことを
フラットに見てほしい。だから父さんじゃなく弘さんと
呼んでくれと、照れながら付け加えた。

「それでいいんじゃない」直ちゃんが言う。
「いいけど。うん、いいと思うよ」私も答える。
私たちは努力といたわりと尊重を持った、優しい家族なのだ。

翌日の始業式は午前中で終わったので、母さんのアパートに
寄ってみると、フライパンで蕎麦と白ねぎを炒め、そこに醤油と
生クリームを入れ、生クリーム蕎麦を作っているところだった。
母さんは一人暮らしを始めてから、料理のバラエティが増え、
仕事も和菓子屋と本屋の販売員、鍼灸院の受け付けを始めた。

いつも下手なギターを弾いている直ちゃんは、地域で評判の
天才児だったが、単純明快な農業をしたいから大学を辞めると
宣言し、無農薬野菜を作る農業団体で働いている。

母さんはパートが遅くなる金曜日以外、夕食を作って運んでくれる。
今日の夕飯は鰆の西京漬けと切り干し大根の煮物にポテトサラダと
炊きたてのご飯に生卵。
卵は直ちゃんが青葉の会の卵を持ってきてくれる。
その卵で作る卵かけご飯は、美味しくて感動する。

“父さんを辞めて”から、食卓に遅れて席につくようになった父さんは、
次の宣言をした。
「大学の薬学部で勉強したい」
薬剤師の国家試験を受けて、製薬会社で薬を作りたいらしい。

「始めることは爽やかで好ましいんじゃない」と、直ちゃん。
「勉強するのはいいことだと思う。じゃあ、今日から浪人生だね」と、
私が言うと
「やっと役職ができたな」と、父さんは嬉しそうに笑った。

学校は海が近いせいか、よく給食に鯖が出る。
「鯖は安くて形も均等だから、給食向きだけど、ほとんど
ノルウェーからの輸入なんだ」
ちっとも勉強ができないのに、実生活知識が詰まっている
坂戸君はすごい。
中学1年の3月にやってきた転校生の坂戸君は、
席替えで私の隣の席になり
「友だちになりたい。お前優しいもん」と言い、
私たちは友だちになった。
給食のときは、私の嫌いな鯖も食べてくれる。

記念日には豪華な朝食が恒例である、母の日の今日も春巻きや
鮭のクリームスパゲティに新鮮な野菜や果物が並んでいる。
直ちゃんはいつも以上にウキウキしながら
「今日、僕の大切な人を連れてこようと思ってる」
と、宣言した。
そして直ちゃんが連れてきたのは、ボバンス・ゴールドライン
というオランダ産の鶏・クリスティーヌだった。

梅雨の季節がやってきた。湿気を帯びた重い空気は、
私の中のどろどろを呼び起こす。
5年前の梅雨、黒味がかった血が飛び散っている風呂場に、
父さんが横たわっていた。
母さんは脱衣所に座り込んだまま茫然自失状態。
直ちゃんは父さんの死より、その理由が気になり遺書を探していた。
救急車で運ばれた父さんは、2日後には退院して、すぐ仕事に復帰し、
我が家の朝食もいつも通りになった。

変わりないように見えた日常に、小さな変化があった。
母さんは一心不乱に風呂場を洗うようになり、
父さんといることに緊張していた。
父さんは私に遠慮と不自然なほどの感謝の気持ちを持った。
直ちゃんは何とかしようと企み、すべて失敗に終わった。
私たちは小さなわだかまりを持ちつつ、朝食を囲んでいた。

4年後、母さんは言った。
「家を出ようと思うの」

あれから梅雨になると、胃が痛むようになった。
不幸は重なり、坂戸君が転校することになった。
19人になると、机の配置が難しいという、担任の山元先生の言葉に、
坂戸君は円形に並べたらと、アイデアを出す。
私たちもそんなふうに考えられたらよかったのに……
決まった席順で全員が揃い、バランスのよいメニューの朝食は、
私たちを守りすぎている。

帰り道、坂戸君は言った。
「俺の家庭って崩壊してるんだ」
ウチの家庭も崩壊しているんだろうか?

風呂場に行けば胃痛が激しくなるのに、そこに父さんの
抜け殻がないことを確認せずにいられない。私は病気なのだ。

5年前、救急車を呼んで父さんを助けた私・佐和子の病気を治そうと、
父さんは浪人生になって、必死で勉強している。
穏やかで賢い直ちゃんは、毎日無農薬野菜を持ってきてくれる。
心を病みながら、母さんはこの梅雨の季節を心配して気遣ってくれる。
坂戸君は大好物だと嘘をついて、給食の鯖を食べてくれる。

気づかないところでいろいろ守られている温かさ。
不器用に遠慮しながら、それぞれを尊重しあい、
思いやりあふれる家族にやがて訪れる出来事……
『バイブル』『救世主』『プレゼントの効用』と続く中原家の物語。

幸福な食卓 (講談社文庫)幸福な食卓
(講談社文庫)

(2007/06/15)
瀬尾 まいこ
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

淫らな罰 岩井 志麻子

淫らな罰


まるで人を入れる鳥かごのような部屋には、窓がないのに
奇妙な光が満ちていた。
白い漆喰がところどころ剥げている天井、旧式の扇風機、
腐りかけた果実や枯れかけた花の匂い、南国にあるらしい部屋。

この部屋の主である、褐色の肌をした若い男は、パソコンに向かっている。
彼の正体ではなく、パソコンの画面が気になる。

小説家のわたし・月島美百合は、半年ほどまえに、酷い掲示板を
持つサイトに「スカスカの子どもだまし小説で成り上がった
ドブス作家の月島美百合」というトピックを作成された。
その頃からだ、あの夢とも記憶ともつかない部屋が現れるようになったのは。
悪意がしたたるような罵倒の書き込みは今も続いている。

デビュー作が漫画化され、テレビにも出るようになったあるとき、
ファンがそのサイトを教えてくれた。
それを最初に作ったのは、文体の特徴から、同期デビューの
晴海鷹夫に違いなかった。

彼は大賞を取り、わたしは優秀賞だった。
晴海は有名大学を中退してから、肉体作業系のバイトを転々としていたが、
トラブルメーカーだったのである。

受賞後しばらくして、晴海の作品とは関係ない罵倒をうけ中傷されたことで、
わたしへの逆恨みが始まった……「あのこと」には触れずに。

受賞の前に、担当になった編集者・徳田絵里から、晴海がストーカーチックな
行為をしたり、嫌がらせ行為をしたりすることを教えてもらっていたので、
彼とは距離を保とうとしていたのである。

受賞式の二次会のあと、晴海にお茶に誘われたが断ったものの、電話番号を
訊かれ、断れずに教えてしまった。
1年ほど経ち、突然誘われたのだが断りにくく、食事と軽く飲んだことは覚えている。
ものすごく醜い怪物にのしかかられた断片的な記憶。
気がついたときは自分のベッドだった。
そこには違和感が残っていた。
わたしはすべてを捨て、携帯番号も変え、引越しもした。

しばらくして、晴海の容姿を揶揄し、わたしを持ち上げる書き込みが、
毎日のようにアップされるようになった。
そして、あのトピックが作成されたのである。
それから、晴海が外国で人を殺したという噂が、ネットで流れ出した。

あの奇妙な夢。南国なのに異様に白い手が、部屋の窓枠に爪を食い込ませている。
古そうなパソコン。褐色の肌をした若い男。
パソコンの画面が気になるが、見たくない。
ふと我に返ると、絵里からメールが届いていた。
晴海が失踪したという噂が流れているという内容である。

もしかしたら晴海が……という恐怖心をごまかしながら、
マンションの玄関に向かった。
するとそこには、うすら笑いを浮かべた晴海鷹夫が立っていた。

誰もが陥るかもしれない闇、冷え切った絶望、人のなかに巣食う
残酷な心に走る戦慄。
表題の『淫らな罰』ほか、『日向の影』『暗かった帰り道』
『隣の花は黒い』『ひとり奏でる恋の歌』の全5編が収録された、
残酷な快楽に潜む恐怖の短編集。


淫らな罰淫らな罰
(2004/05/20)
岩井 志麻子

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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

GlRL FRIENDS -ガールフレンズ- 森永みるく

GlRL FRIENDS ガールフレンズ

熊倉真理子は母親が通う美容院に行き、洋服も自分で選ぶことはなく
母親に買ってきてもらっている、成績優秀な優等生。
中学生のときも学校が終われば塾通い、プリクラもあまり
撮ったことがなく、おしゃれもよく分からない。
高校に入学しても人見知りで、近くの席の子としか話せない、
読書好きの高校1年生。

そんな真理子が、2学期になって初めて話した同級生の大橋あつこに、
突然「まりちゃん、いっしょに帰ろ?」と誘われる。
そのなれなれしさに戸惑いながらも、無邪気に顔を
近づけてくるあつこにドキドキしてしまう。

あつこの友だちの関根珠実、杉山さとことも仲良くなり、
4人はあっこ、たまみん、すぎさん、まりちんと呼び合うが、
あっこだけは真理子のことをまりと呼ぶ。
そのことが真理子には、2人に特別の友情があるように感じられて、
密かに悦びを覚えていたのである。

休み時間のたびに集まって、いろいろな話をして、はしゃいだり、
お弁当を食べたり、ミスドに寄り道したり、いっしょに帰って洋服を
買ったり、それまでの真理子の学校生活が一変していく。

2年生に進級しても、真理子とあっこは同じクラスになった。
新しい友人もできるが、あっこにとって自分が1番の存在か不安に
なることで、心の器が小さいことを痛感し、思い悩む。

そんな真理子の気持ちをほぐしてくれるように、あっこの
一言ひとことが、真理子の心に沁みる。

ちょっと強引に感じられることもあるが、実は相手をよく見ている
友人思いのあっこに、真理子はいつしか友だち以上の感情を覚えながら、
いろいろなことに目覚めていく友情物語。

ふと、高校時代がよみがえる。
2年のクラス旅行は上高地キャンプだった。
その日は快晴で、キャンプ場の脇を流れる清水川の水面も、
まぶしいほど陽光に煌めいていた。
テントを張り終え、持参したスイカを清水川で冷やしたり、夕飯の
準備をしたり、辺りを探索したり、それぞれ好きなことのできる自由時間。

運動神経抜群の同級生。
彼女は男子にもモテたのに、なぜか女の子にしか興味を示さなかった。
どうしてそういうシチュエーションになったのか、今では思い出せないが、
彼女とわたしは2人きり、張り終えたテントのなかにいた。
お互いの顔が次第に近づき……
わたしは初めての体験をした。

本書にいざなわれたのは甘美な想い出。
遥か彼方の淡い煌めき。
今、そのなかに入り込もうとすると、なぜかぼやけてしまう光景。
あれは現実だったのだろうか?
それとも妄想が生んだ幻なのだろうか……

GIRL FRIENDS (1) (アクションコミックス)GIRL FRIENDS (1)
(アクションコミックス)

(2007/12/12)
森永 みるく
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

大芝高原 と 信州諏訪名物 えび天丼

Nature.jpg

久しぶりに電車に乗った。
松本で乗り換え、岡谷で乗り換え、ようやく飯田線に。
車内の天井から流れてくるのは、滑舌のよい透き通るような
女性運転手さんの声だった。

「遅れて到着する電車からのお客さまをお待ちしていたため、
1分少々遅れての発車となりましたこと、たいへん申し訳ございません」
口調も言葉も丁寧で清々しい。
窓からは雲ひとつないスカイブルーに、くっきり映える山の端。
これ以上ない、ウォーキング日和りに、気持ちも浮き立つ。

そして大地広がる南箕輪村は大芝高原。
真っ青な空に浮かぶ稜線を眺めつつ、アカマツとヒノキがうっそうと
繁る森林で、マイナスイオンシャワーを浴びながらのウォーキングは、
自然と呼吸も深くなる。
濃密な酸素を貪欲に取り込みながら動かす脚は、軽快でリズミカル。

ストックを小気味よく動かし、アップテンポで歩いて行く熟年のご夫婦。
きっと毎朝の日課なのだろうか、着込んだスポーツ用のアウターが
とても身体にフィットして、姿勢よく土を踏み締めて歩くスポーツウーマン。
ゆっくりと景色を楽しみながら進む年配の男性。
数人のグループと行き違いながら、交わす「こんにちは」の挨拶。

コースは数種類あり、すべて制覇してもせいぜい5〜6kmだけれど、
大木に覆われ、ひんやりした空気のなか、ときおり遭遇する
なごり雪や霜柱を横目に、松の葉の絨毯を歩く心地よさのなか、
スタート&ゴール地点に到着。

ほどよく空腹を覚え、ランチは帰り道である諏訪で探そうと決める。
そういえば、先日地元局の情報番組で観た“みそ天丼” 。
どんぶりの嵩の倍はあろうかという、かき揚げと数種の野菜天、
さらに大海老天がご飯の上を飾り、天つゆや塩ではなく、味噌だれで
いただくという、あの諏訪の名物“みそ天丼” をいただくことにする。

巨大かき揚げは、いったん蓋の上に乗せ、甘味と塩分に香ばしさが
絶妙に絡み合った味噌だれをかけて頬張る。
サクっとした歯ごたえと、海老や野菜の食感と風味が口中に広がる。
それはまさに至福のとき!

大芝高原での新鮮な空気と、諏訪名物えび天丼で最高の1日となった3月、
春まぢかの休日。

さぁ、本格的なトレッキングシーズンにはどこを目指し、何を食べようか……

テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

日本国憲法を口語訳してみたら 著者 塚田 薫 監修者 長峯信彦

日本国憲法を口語訳してみたらのコピー

愛知大学法学部法律学科在籍中の著者が、ネット上の掲示板に
「日本国憲法を口語訳してみた」というタイトルの書き込みを
したところ、大反響を呼び、朝日新聞朝刊「論壇時評」に
取り上げられた。

ネット、ラジオ、新聞など、さまざまな方面で話題になり、
愛知大学法学部の長峯信彦教授が監修をし、解説やコラムを
加筆して本書が誕生することとなった。

内容は
◆まえがき
◆前文
第1章 天皇
第2章 戦争の放棄
第3章 国民の権利及び義務
第4章 国会
第5章 内閣
第6章 司法
第7章 財政
第8章 地方自治
第9章 改正
第10章 最高法規
第11章 補則
◆憲法がさらにもっとよくわかる!厳選コラム5
COLUMN 1 そもそも憲法ってなに?
COLUMN 2 「日本国憲法」はどうやってつくられたの?
COLUMN 3 憲法9条ってなんでそんなに重要なの?
COLUMN 4 女系・女性天皇についてこれだけは知っておこう!
COLUMN 5 「将来お世話にならない」とは決していいきれない
生活保護ってなに?
◆著者あとがき
◆監修者あとがき
で構成されている。

わたくしごとですが、恥ずかしい事実をカミングアウトしてしまうと、
わたしはパソコンのマニュアルは読まない……というより、読めない。
なぜこうも分かりにくく書くことができるのか、そっちに感心してしまう。
(単にわたしの読解力が低いだけなのだけれど)

確か、中学の社会科の教科書に載っていた「日本国憲法」。
それはまるでその、パソコンのマニュアルのごとく、何度読み返しても
自分のなかで消化できなかった。

日本人であれば、知っていなければならない日本国憲法。
本書は身構えることなく、日本国憲法がすんなり頭に入る1書。

高校入学したて、最初の数学の授業で、先生が「〈数が苦〉ではなく
〈数が楽〉にしよう」とおっしゃった言葉が脳裏に浮かぶ。
そう、本書は〈憲法が苦書〉(憲法学書)ではなく、〈憲法が楽書〉である。

日本国憲法を口語訳してみたら日本国憲法を口語訳してみたら
(2013/07/26)
塚田 薫
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

母の味 山ごぼうおにぎり

山ごぼう1

電源がONになっているテレビ画面からは、グルメ番組が流れていた。
見るでもなく、ぼんやりモニターを眺めていると、テーブルの
上へ無造作に置かれたiPhoneが震え出す。
淋しいことに、私のケータイを鳴らす相手は、ほぼ間違いなく
家族と決まっている。
ところがディスプレイに出ていた名前は、東京に住む
従兄弟からだった。

2人兄妹の父の妹、つまり私の叔母の、2歳年下と4歳年下の
息子2人は、小学生時代、長い夏休みのほとんどを、
私の実家で過ごしていた。
少しだけ血縁の薄い姉弟のように育った私たちは、成人してからも
機会があれば、東京と信州を行き来する仲である。

ここ数年はお互い忙しく、会うこともままならなかった従兄弟からの電話に、
懐かしさがこみ上げながら、近況報告を終えた彼が本題に入る。

「実は別居して2年ぐらい経つんだよね〜」
叔母から聞いていたが、
「そうなんだ〜」と、無難にとぼけておく。
「会社の事務所に寝泊まりしてるから、粗食でね〜。
そしたら、おばちゃん(わたしの母)が昔よく作ってくれた、
山ごぼうのおにぎりが無性に食べたくなっちゃったんだ。
もちろん代金は支払うから、山ごぼうを送ってもらえない?」

わたしが小さいころ、母はしばしば、細かく切った山ごぼうの
味噌漬けを具にしたおにぎりを作ってくれた。
遠足や運動会に持っていくお弁当で、わたしはそれが
いちばん好きだった。

かわいい弟の頼みである。
即、快諾した……は、いいが、買いに行く時間がない。
信州の特産品である山ごぼうの味噌漬けを購入するには、
我が家から30kmほど離れたお店まで行かなければならない。
仕事が終わってから車を飛ばしても、閉店時間はとっくに
過ぎてしまう。

ん〜、どうしよう……
小さなお店なので、ホームページを持っているかどうかと
危惧しながら、検索すると、存在しているではないか!
さっそく贈答用としてネット注文。

ホームページがないかもなどという非礼な危惧を反省しつつ
閲覧していると、わたしも、あの母の味「山ごぼうおにぎり」が
無性に食べたくなった。
とりあえず仕事の帰りにスーパーへ寄り、味噌漬けではないけれど、
醤油漬け山ごぼうを買って、懐かしいおふくろおにぎりを作ろう!

テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

水曜の朝、午前三時 蓮見圭一

  水曜の朝 午前三時

僕は四条直美という人が好きだった。
昔、直美の娘である葉子の家の近くを通る時、偶然直美に
出会わないかと、胸をときめかせていた。

1度だけ直美のペレットに乗せてもらったことがある。
カーラジオから『オールド・ファッションド・ラブソング』が
流れていた、短いドライブだったけれど、僕にとっては
忘れられない想い出だ。

そのとき直美は言った。
今度は遠くまで行こうか、と。
私は西へ向かうのが好きなの、とも。
直美がどこに行きたかったのか、今なら分かる。

あれから何年も経った今、僕のマンションの駐車場には、
あのペレットはが停まっている。
母親である直美の死後、葉子は大学を中退して帰国し、アルバイト先の
大型書店で再開し、僕と結婚することになった。

病床の直美が葉子に送ったテープを僕は何度も再生した。
肉声で吹き込まれた4巻の回顧録と手紙。
重い櫂のようなペン。死の淵に直面しながら、たいへんな作業を
遂げた四条直美を、僕は愛している。

彼女はテープと手紙を、ニューヨークに留学していた葉子に送り、
脳腫瘍のため他界した。45歳だった。

私は常に思考とともに生きてきた人間ですから、それが停止したときに
終止符を打とうと思い、2週間前にリビング・ウィルへの登録を
済ませました。

悪性腫瘍だと診断されたときから、罰が当たったのだと
思いました。
毎年、年末に私は京都へでかけ、幼いあなたに不安な年の瀬を
過ごさせてしまった理由を記そうと思います。
もう私に残された時間はあまりないようです。

私は1969年にお茶の水女子大の外文科を卒業し、出版社に勤めました。
父の意向による大学と就職先、それに決められた許婚もいました。

私はボブ・ディランを聴きながら、サルトルを読む
……それが私にとっての1969年……あの頃は、見えないものまで
見ようとしていた、そんな時代でした。

許婚との結婚を先延ばしにするため、翌70年の3月に開催される
大坂万博の通訳のコンパニオンに応募し、大阪に行くことに
なりました。

それは23歳からのほぼ1年間、すなわち1970年の春から翌年に
かけて、私の人生を左右する出来事が起こったのです。

初めて臼井さんを見かけたのは、万博が開催される
半月ほど前でした。
協会本部からの帰り道、ルームメイトの雨宮さんといっしょに
歩いていたとき、彼とすれ違ったのです。

臼井さんは内面が容姿にあらわれている、そんな雰囲気を
持った方で、私は彼のことを知りたい、私のことを
知ってほしいと思うようになりました。
気がつくと、臼井さんが乗っているツートンカラーの
ペレットGT-Rを探している自分がいたのです。

4月のある午後、庭園の池のほとりで、イタリア人オペラ歌手が
記念撮影をしていたところを、偶然臼井さんと出会い、私たちは
バラ園を見ながら歩き、翌日もベンチに腰掛けて、少し話をしました。
臼井さんは、週明けに、いっしょにビールでも飲もう
と言ったけれど、結局それ以降、万博会場でお会いすることは
ありませんでした。

大阪が梅雨入に入ったころ、臼井さんが事故を起こした責任を
とって、万博の仕事を辞めたと聞き、梅雨空の京都を歩き続け、
彼の部屋を訪ねました。
出てきたのは、妹だという成美さんで、臼井さんはタイに出かけていて
留守とのことでした。しばらく2人でコーヒーを飲みながら、
いろいろ語り合いました。

その10日後、ワルシャワで通訳の仕事をしていると書かれた
臼井さんから絵葉書が届いたのです。

7月22日に成美さんと京大近くの喫茶店で待ち合わせ、
ボウリングをしてお店に戻ってきた夕方、ボストンバッグを手に、
日焼けした臼井さんが入ってきたのです。

私たちは、臼井さんが免税店で買ってきてくれたミニチュアボトルの
チョコレートで乾杯しましたが、私は涙がこぼれ落ちそうで
うまく話すこともできませんでした。
臼井さんは、やはり私が思っていた通りの人だった。

私は喫茶店を出て境内に入り、何度もしゃくりあげながら、
自分の胸に誓っていました……もう絶対に彼を放しはしない、
永遠に……とその時は思っていました。

サイモン&ガーファンクルの曲と同タイトルの『水曜の朝、午前三時』
A級戦犯の祖父、厳格な家庭環境、1970年という時代背景。
生活を愛し、洋楽とお酒を好み、自分の気持ちを隠しきれない感情の人・
四条直美が、死を見つめながら、ありのままの心と人生を4巻のテープに
遺した恋愛告白小説。

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)水曜の朝、午前三時
(新潮文庫)

(2005/11/27)
蓮見 圭一
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

『神曲』まんがで読破 ダンテ作

『神曲』

西暦1274年、イタリアフィレンツェ。
ダンテはベアトリーチェに一目惚れするが、2人は話す機会も
ないまま、ベアトリーチェは亡くなってしまう。
ダンテが絶望し、荒れ果てた森をさまよっていると、
凶暴な獣に取り囲まれるが、そこへ古代ローマの詩人
ウェルギリウスが現れ、死後の世界へ案内しようと告げる。
現世へ戻るには、地獄・煉獄・天国を旅し、死者の魂に耳を
傾けて、自分の歩むべき道を探さなければならないと。

ダンテが自分にはそんな過酷な旅をする自信がないと答えると、
ベアトリーチェが天国からダンテを見守っていて、天国へ導くよう
頼まれたというウェルギリウスの言葉を聞き、
死後の世界へ旅することを決意する。

地獄では渡し守カロンが、多くの魂を闇の中へ
連れて行こうとしている。
ダンテたちがその舟に乗って向こう岸に着くと、
そこは地獄の淵だった。
火山の噴火口のような淵を下りた先の辺鄙には、キリスト教の
洗礼を受けていない人たち……アダム・アベル・ノア・モーセ・
アブラハム・カエサル・ソクラテスなどの偉大な人たちがいた。
そして地獄の裁判官ミノスが、魂を落とす地獄の層を決めるのである。

愛欲に溺れた者の裁きの谷、暴食を犯した地獄、もっとも罪深い
地獄の下層部、自殺者の森、女性を売却した者の地獄、盗人・詐欺・
謀略の地獄、氷地獄、巨人族の地獄、この世に悪をもたらした地獄の王・
堕天使ルチフェルの腹の下を過ぎ、ようやく出口から煉獄へ。

煉獄はみずからの罪を清める天国への通り道。
高慢・うぬぼれ・嫉妬・怠惰・貪欲・淫蕩などの罪をみずから
浄める煉獄の終わりに立ちはだかる炎。
そこに現れた天使が言う。
炎を浴び、燃え尽きなけれは、清き世界へは行かれない、と。
この炎を越えなければ、天国にたどり着くことはできない。
ベアトリーチェに会うことができないのである。

地獄の旅で見えてくる愛への疑問。
怒りや不満に向き合う姿。
信じ、希望を持ち、愛することという、人が生きる力の原点。
魂のひとつが、すべての存在とかかわり、愛によって浄化される魂。
罪と愛、哲学や倫理、宗教に神学が描かれた神からのメッセージ。

地獄編、煉獄編、天国編からなる長編叙事詩、イタリアの詩人ダンテの
代表作『神曲』が、分かりやすくコミックでよみがえった1冊。

神曲 (まんがで読破)神曲 (まんがで読破)
(2008/10/01)
ダンテ
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テーマ : アニメ・コミック
ジャンル : アニメ・コミック

蹴りたい背中 綿矢りさ

蹴りたい背中

この彼にはなにか違和感を覚える。
何がおかしいのだろう……
ああ、雑誌!
彼が読んでいる、OLが愛読しているようなファッション誌。
授業中に堂々と広げている彼に、負けたなと敗北感がよぎる。

高校に入学してからまだ2か月しか経っていない6月の理科室。
「今日は実験だから、5人で1班を作れ」という先生のひと言に、
私とにな川だけが、まだ友達がいないということが露呈した。

中学からの友たち・絹代にも見捨てられ、でも私は余り者も嫌だけど、
無理して話題を作り、無理して笑わなければならないグループはもっと嫌だ。
絹代は素直に笑える子なのに、グループの中に入ると、無理して笑っている。

校門前で、にな川が部活を終えた私を待ち伏せしていた。
私は彼の後ろを歩き、家までついていった。
玄関から上がって板廊下を進み、いったん庭に出てから階段を上って、
薄暗く年寄りくさいにな川の部屋に入った。

にな川は、この部屋でご飯を食べるらしい。
授業中に女性ファッション誌を見ているような、
よく分からない男の子は、机の引き出しからコップと、
冷蔵庫からペットボトルを取り出して、お茶を注いで、
高価な洋菓子とともに私に手渡してくれた。

彼から、家まで来てくれたことにお礼を告げられ、
オリチャンに出会った場所の地図を書いて欲しいと
請われる。
彼が見ていたファッション誌に載っていたオリチャンと会ったことを
話したけど、どうして今あの人の話が出てくるんだろう?と、
訳の分からないまま、地図を書き始めた。
机の下を覗くと、プラスチックケースには、オリチャンが表紙を飾る
ファッション誌がみっしり詰め込まれている。

オリチャンのファンだというにな川は、オリチャンに会ったことのある
私を愛しそうに見つめる。
私は〈オリチャンと会ったこと〉だけに価値のある女の子なんだと
思ったら、気持ちがささくれた。

オリチャンに会った中一の夏休み。
オリチャンに話しかけられて、みっともなく切羽詰まった顔に
なりすぎたかもしれない切なくきしむ記憶。
にな川に別れを告げ、部屋を出た。

部活で走り、転んでできた擦り傷を流水で流していると、
にな川が私の前まで来て、私がオリチャンと会った無印まで
案内してくれないかと言う。

にな川を案内する無印ツアーが終了し、いっしょに
ビルの日陰をつないで歩きながら、あんたの家でちょっと
休ませてほしいと言ってから気づいた。
今まで気軽に声をかけることができなかったのに、にな川になら
それができることに。

にな川の部屋に入ると、彼は素早い動きで押入れからCDラジカセを出し、
私を放ったらかしてイヤホンをつけた。
オリチャンの世界に入り込んでいる背中を上から見おろしていたら
突然危険な欲望に包まれた。

この、もの哀しく丸まった背中を蹴りたい!

入学して間もないのに、クラスの交友関係を相関図に書くことができ、
しかも自分がそこに入れないことを自覚している冷静な自己分析と、
その殻から抜け出したいと願う、相反する気持ちのジレンマが、
にな川と接することで溶け出していく。
にな川の背中を見ていると溢れ出す、とどまらない乱暴な欲望。
思春期の女の子が独特の世界を描く青春小説。

蹴りたい背中 (河出文庫)蹴りたい背中
(河出文庫)

(2007/04/05)
綿矢 りさ
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

インストール 綿矢りさ

インストール

野口朝子は、枯れた悟りをひらいている17歳。
小さくまとまった未来を想像すると苦しいと、思い悩む。

学校を休んで悩みを解決しなさいと、同級生の光一にすすめられ、
私は受験戦争から脱落して、不登校になった。

家で眠り続け、目覚めると夕暮れに照らされた部屋の光景に呆然とし、
すべて捨てようという思いにかられる。

夜があけるまで掃除し、夕方までかかって、部屋のすべてを
ゴミ捨て場に運ぶ。
中に入って、椅子の上に、今はもういないおじいちゃんから
買ってもらったコンピューターを置き、地べたに座り込んだ。

大丈夫ですか?と、小学生くらいの少年から声をかけられ、
ありがとう、大丈夫。今フリーマーケットやってるんだけど
見ていかない?と返すと、少年はコンピューターが欲しいと
答える。
壊れているけど、直せるなら、と譲ってあげた。

不登校になって6日が過ぎた。
朝、さりげなく家を出て、マンションの物陰に隠れ、
母の出勤を見届けてから家に戻る。
それからずっと家に引きこもって過ごし、仕事から
帰ってきた母を迎える、という日々を送っていた土曜日、
私は屋上に続く階段で午前中を過ごしてから、家に戻ろうとした。
すると母が女の人と立ち話をしていた。

私が挨拶をすると、女性はデパートでソナチネというメーカーの
下着を販売していて、試着品をいただくので興味があったら
もらって欲しいと、もちかけてきた。

女性が持ってきた下着は、パンツばかりの高級エロ下着だったことに
憤りながらも、母はお礼に図書券を持っていくよう私に命じる。
私はそれを受け取り、家を出た。

その女性宅のドアの前で、ゴミ捨て場で会った少年に声をかけられる。
聞けば、そこが彼の家で、母親は留守とのこと。
私はがっかりしたが、ふとコンピューターをあげたことを思い出し、
直せたかどうか訊いてみた。

私は生き返ったコンピューターを見せてもらうことにした。
家には私たちだけで、そのコンピューターは和室の押入れに置かれ、
インストールし直して、起動するようになったのだという。

コンピューターに触れながら、少年にどうしてあんなにたくさんの
ゴミを捨てたのか訊かれた私が、登校拒否児になったことを打ち明けると、
チャットというインターネット上のシステムを使って男の人と、
文字でエッチな会話をする仕事をしませんか?時給1,500円の
収入になります、と誘われ、さらに少年は説明する。

コケティッシュチャット館というサイトで、僕の母が働きに
出かける平日の午前から僕が、帰ってくるまであなたが、夕方僕が
このチャットルームでアルバイトするということですが、どうしますか?

私が持っている強い身体と、新鮮な脳みそという最高素材を
押入れに閉じ込めてしまうチャット嬢になるのは、それこそ
私が最も切り捨てたいと思う“無駄”であり、道の踏み外しである。
冗談じゃないと思いながら、嫌、ですか?と少年に訊かれ、
思わず答えてしまった。
やらせていただきます!

母親と2人暮らしで、不登校の高校3年生・野口朝子と、
父親と再婚した継母との3人暮らしの小学生・青木かずよしとの
奇妙な共同アルバイト生活が始まる。
(当時)17歳の著書が綴る文藝賞受賞作。

高校に入学して2か月くらい過ぎたころだったろうか、
なぜ自分がそこにいるのか理由を見つけられず、
居場所を捜しあぐねていた。
なんのために勉強しているのか、何になりたいのか、
何をしたいのか、何を求めいてるのかがまるで見えないことに、
いらだちと不安の靄に包まれ、だからといって、退学する勇気もなく、
ただ学校と家をさまよう日々を送った高校1年の1学期。

そんな日常も数週間が過ぎ、いつの間にか夏休みに入って、
バイトに明け暮れるときを過ごしているうち、あれだけ悩んでいたことを
すっかり忘れてしまって、いつしか普通に2学期の高校生活を
送っていることに気づいたのは、秋も去りつつある初冬の季節だった。

社会にもまれ、生活していくことのみが精一杯で、自分が何者で
あるかなどという疑問も湧かなくなってしまったお年頃に、
本書を読み返してみれば、また新鮮なあの頃に戻れるかもしれない。

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(河出文庫)

(2005/10/05)
綿矢 りさ
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

陰陽師 醍醐ノ巻 夢枕 獏

陰陽師 醍醐ノ巻  

『笛吹き童子』
霧雨のなか、葉二を吹きながら、源博雅は二条大路を歩いている。
梅雨が去って、博雅は西に向かっているうち、いつの間にか
広隆寺の山門に出た。
その山門の下で、博雅は笛を吹き続けていたのであった。

月明かりと心地よい初夏の夕闇に包まれて、安倍晴明と博雅が
酒を飲んでいる。

陰陽師の真骨頂である2人の会話……
「しかし、昨夜は本当に気分がよかったなあ」
「何のことだ」
「雨が止んで月が現れた。生まれたばかりの、みずみずしい赤子のごとき
月があまり美しかったのでな、笛を持って外へ出たのだ」
「ほう……」
「それで笛を吹きながら、歩いたのだ」
「歩いた? まさか、それは広隆寺の山門までということか……」
「その通りだが、晴明よ、どうしておまえ、そんなことを知っているのだ」
「噂を耳にしたのだ。兼家殿が、女にしかられたという噂さ。兼家殿には
西京に通う女があって、昨夜出かけて行く途中で、
笛の音が響いてきたというのさ。
笛の音に聴き入ってしまい、女のもとに着いたときには、東の空が
白みはじめていて、家に入れてもらえなかったらしい。さらに兼家は、
あの笛はこの世のものとも思えない良き調べだった。
源博雅の笛にも及ぶまい、と言ったという。
しかし、昨夜の笛は、博雅よ、おまえが吹いていたもので
あったというわけだ」
……なにごとにも動じない安倍晴明と、波長のあった博雅の会話は、
静かな宵の庭園で、酒を酌み交わす様が鮮明に浮かんでくる。

翌日も、山門の方から兼家が笛の音を聴いたというが、博雅はずっと晴明と
いっしょだったので、笛は博雅が拭いていたのではなかった。
2人は真偽を確認するため、広隆寺に行くことにする。

晴明と博雅が身を潜めて待っていると、やがて笛の音が届いてきた。
澄み渡り輝くような音色に、博雅が賛嘆の声をささやいたとき、そこに
数人の人影を見る。

兼家たちが、笛を吹いている童子(わらべ)に声をかけていたのである。
晴明と博雅は、彼らに見つからないよう、南へ向かっていた。

兼家は、粗末な衣に裸足で、三重苦を抱えた童子を自分の屋敷に
連れ帰ったらしいが、童子はなにもしゃべらず、ただよい音色の
笛を吹くのみだった。

その音色に、主上(おかみ)もまた心を揺さぶられ、
博雅と笛合わせをすることになってしまった。

5日後、宮廷の主だった人間たちが集まった清涼殿で、
帝の前に少年が立ち、美しい音が流れ出した。
この世のものとも思えない美しい音を耳にした博雅は、それが
あの晩、山門の下で自分が吹いていた曲であることに気づき、
立ちあがって葉二を唇にあてて吹き始めていた。

童子と博雅の笛の音が重なり、清涼殿を満たした。
皆が思わず声をあげ、博雅はただ一心に葉二を吹いていた。

やがて笛の音がフェイドアウトし、床に木彫りの像が転がった。
晴明が像を起こして立て、それは広隆寺山門の、音声(おんじょう)
菩薩様だと言う。

ほかに
『はるかなるもろこしまでも』『百足小僧』『きがかり道人』
『夜光杯の女』『いたがり坊主』『犬聖』『白蛇伝』『不言中納言』
の短編が収録。

ひょうひょうとした晴明と博雅のやりとり。
平安時代の人々の哀しさと闇。
陰陽道にのっとって呪術を操る陰陽師・安倍晴明と、笛の名手・源博雅が、
鬼や死霊などの〈ものの怪〉の話を聞き、存在理由をあかして怨念を
解きほぐし、怪事件を解決する好評シリーズ。

陰陽師 醍醐ノ巻陰陽師 醍醐ノ巻
(2011/05)
夢枕 獏
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

小さいおうち 中島京子

小さいおうち

女中の仕事は渡辺家を最後に、私は今、茨城の田舎に、
住んでいる。
近くにいる甥一家と、ときどきいっしょに食事を
したり、節約しながら暮らしているのである。

昭和5年の春、私は尋常小学校を卒業して上京し、小説家の
小中先生宅でお世話になった翌年、浅野家にご奉公に上がった。
お嬢様とお呼びしたいほど若々しい時子奥様は、1歳半くらいの
恭一ぼっちゃんを抱いていて、熱心にお料理や言葉遣いなどを
私に教えてくださった。

あのとき奥様は22歳、わたしは14歳だったが、あれから
私たちはとても濃密な時間をいっしょに過ごしたものである。

最初のご亭主は不景気がたたってクビになり、そのあと工場で
嘱託事務をしていたが、予期せぬ事故で亡くなってしまったのが、
わたしが奉公に上がった年である。

奥様は恭一ぼっちゃんを連れて、いったん実家に帰ってから、
子連れ、女中連れで、昭和7年の暮れに平井家に嫁いだ。

平井家はいつも和やかで、ご夫婦仲もよく、ぼっちゃんも
旦那様によくなついていた。
あの辺りでは西洋屋敷が珍しかったのだろう、1人の青年が
家の前にイーゼルを立てて、絵を描いていたのを覚えている。

私はとにかく赤い屋根のこの家が好きだった。
たった2畳の板間の私の部屋も。

甥の次男の健史は、時々この東京での女中生活を綴った文章を
盗み読みしているらしく、内容について批判したり、意見したりするが、
私はもともと小学校の成績も悪くなかったし、若々しい向上心もあった。

奥様も夜間女学校に行ったらどうかと勧めてくださったが、
その年の暮れに、恭一ぼっちゃんが高熱を出し、そのあと脚が
動かなくなってしまったので、毎日ぼっちゃんをおぶってお医者さまに
通ったり、マッサージをしたりしているうちに、女学校の話は
いつしか立ち消えになってしまった。
けれどこの1件で、奥様とわたしの絆がとても深まったのです。

夏になり、旦那様が社長さんの鎌倉の別荘に招かれたとき、
デザイン部に配属されることになったという板倉正治さんを
紹介されたが、恭一ぼっちゃんと絵を描いている姿からは、
実業家には疎い芸術家タイプに見受けられた。

そのまま社長さんと旦那様は先にお帰りになり、私もいっしょに戻って、
旦那様のお世話をして過ごした2週間の間に、旦那様に男の人の
匂いがないことに気づいた。
それが、奥様が再婚しても赤ちゃんに恵まれなかった理由だった。

2週間後、奥様とぼっちゃんを鎌倉へお迎えに行き、二楽荘で
シュウマイを買って駅まで戻ると、奥様とぼっちゃんが
板倉さんと話をしていた。
なぜ板倉さんが?という疑念が生まれたのはこのときだった。

脚のために1年遅れて、恭一ぼっちゃんは、新設校のわりには評判もよく、
中学進学率もかなり高い小学校に入学した。

その年の秋、わたしに縁談が2つあったが、いつの間にか沙汰止みになり、
夏にはもっと大きな見合い騒動が訪れた。
旦那様が板倉さんへ2枚の見合い写真を持ち帰られ、奥様に託されたのである。

数日後、板倉さんがやってきて、奥様がその話を切り出したが、
縁側でお見合いについてやりとりをされているお2人は、なんだか弱々しく見えた。
そして、嫌々ながら板倉さんは見合い写真を押し付けられる形で帰っていった。

とにかく一方だけでも決めるように、旦那様に命じられ、
奥様は藍媚茶の縞単衣に名古屋帯を締めて、板倉さんのアパートへ
出かけられたが、結局お写真を2つ持って戻られた。

そのことを聞いた旦那様はとても不機嫌になり、奥様が再び
説得することになった。

奥様が板倉さんをご訪問された日、それは忘れられない日となった。
翌週のこと、奥様は地味な絣に博多織一本独鈷の帯を締めて出かけられたが、
戻られたときには帯の模様がいつもと逆になっていたのである。

それから奥様は2度板倉さんのアパートを訪ねたが、その間
奥様のことが気になって、ただ悶々と過ごしていた。

11月になり、板倉さんが来訪され、
このたびの聖戦で丙種合格者も招集されることになったので、
自分もいずれ戦争に行くことになる。お国のご奉公が終わってから、
身を固めたいと言う。
旦那様は意外と簡単に了承し、板倉さんをお酒に誘った。

そして日本は徐々に戦争の色を濃くしていった。

恭一ぼっちゃんはお姿も態度も、ませた印象を漂わせるように
なってきたある日、あの事件が起こった。
ぼっちゃんが目に青痣を作って帰宅し、学校からの手紙を差し出されたのである。
その手紙にはクラスメイトとの喧嘩の顛末が書かれていた。
仲良しだったタッちゃん・佐橋達吉が泣いているのを見て、
ぼっちゃんがからかい、苦し紛れにタッちゃんは、お前の母親が
若い男と歩いているのを見たぞ、と言った。

それはいつだったのだろう。
お見合い騒ぎで奥様が板倉さんを訪ねたのは、2年も前の
話だったし、その後お2人が会っているはずはなかった。
奥様のことは何でもわかっているつもりでいたのに、私の
知らない時子奥様がいることに、私の心はざわついた。

恭一ぼっちゃんは、従兄弟の正人ぼっちゃんに家庭教師を
してもらうことになり、夜には少しばかり賑やかな夕食を持たれた。
その席で、旦那様がおっしゃったのだ。
「板倉君に招集が来た」

しばらく寡黙だった奥様は、明るい笑みを浮かべて
板倉さんにせめて手料理でも召し上がっていただいては?
と、おっしゃった。

翌々日、板倉さんは平井家を訪れ、くつろいで楽しそうに過ごされ、
帰っていった。
その翌日、庭仕事をしていた私に奥様から声がかかる。

「タキちゃん、ちょっと出かけるわ」
「はあ、どちらへ」
「ちょっとね」
奥様がなさろうとしていたことが、すぐにわかった。

抑えられない激情を、抑えて差し上げるのが、私の務めなのか……
奥様がなさりたいことに、手をお貸しすべきなのか……

平井家は私のすべてだった。
私にとって「家」といえば、奥様とぼっちゃんのいる、
高台の赤屋根の家だった。
平井家のお勝手、そこは唯一無二のわたしの場所。

昭和初期、次第に戦況が悪化していく時代に、東京の奉公先である
平井家の出来事が、66年のときを超え、女中タキの覚書を
通して再燃する物語……
しかし、それだけではなかった。
語り手がかわり、タキの歴史がつながれようとしたとき、奇跡を呼んだ。
66年間、眠り続けた美しい和紙の手紙に隠された想いが……

小さいおうち (文春文庫)小さいおうち
(文春文庫)

(2012/12/04)
中島 京子
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

螺鈿迷宮 海堂 尊

螺鈿迷宮

天馬大吉は、時風新報という弱小新聞社の片隅にいた。
桜宮分室社会部主任補佐・別宮葉子は、医学部2回目の
3年生である僕を呼び出して、いいように使う。

今日も碧翠院桜宮病院に潜入取材を依頼されたが
「やなこった」と捨て台詞を吐いて、僕は時風新報の
オフィスを後にした。

僕の行きつけである東城大学医学部附属病院の近くにある
雀荘「スズメ」で、2つ年下の上級生・田端健市と
2人の新顔の面子で、今日の麻雀が始まる。
僕と田端は、秘技・御祝儀爆弾を使って、
客(カモ)の金を適当に抜いて遊んでいる。

中盤、ようやく見るべき手が入ったとき、背中で空気が揺れた。
振り向くと、疫病神のような男が立っていた

半荘(はんちゃん)が終わると、新顔の〈音痴〉が帰るとゴネだし、
トロそうな〈マグロ〉は逃げそびれる。
僕たち3人が帰ろうとしたとき、疫病神のような男が
自分も入れてほしいと言う。

僕たち無敵コンビで、男を客(カモ)にしようと企んだが、
逆に自分たちの秘技・御祝儀爆弾で100万円支払わなければ
ならなくなってしまった僕は、借金のカタにその疫病神・結城に
連れていかれることになってしまった。

結城の後を追い、桜宮の歓楽街、蓮っ葉通りにある
「メディカル・アソシエイツ」というプレートの部屋に入ると、
2人の若い女性が僕を見て笑っている。
そこにいたのはハコ・別宮葉子だった。
もう1人の女性は立花茜と名乗った。

茜の父親だという結城が、娘婿であり、桜宮病院で行方不明に
なった部下の立花善次を探してほしいと言う。
桜宮病院を調べていて、病院長とアポイントが取れたという電話が
あったあと、連絡が取れなくなったということだった。

結局、借金100万円の帳消しという交換条件で、明朝10時、
潜入調査するため、ボランティアとして、桜宮病院事務室に
行くことになったのである。

桜宮病院は赤煉瓦が積み上げられた三層構造で、上層になるにつれ
床面積が減じるため、巻き貝のようにも見える。
それゆえ、でんでん虫と呼称されている。

でんでん虫には不気味なウワサが多いが、夏の夕暮れ、
でんでん虫の触覚である東塔てっぺんが虹色に光るという
美しい虹の物語もあった。

僕が桜宮病院のエントランスに向かっていると、東塔の脇腹に
急停車した黒塗りのワゴンから突然出現した銀髪。
それが桜宮巌雄病院長だった。

威風堂々とした巌雄のいる院長室にやってきた、仏蘭西人形の
ような副院長・桜宮小百合に、僕は病院内部を案内される。
煉瓦の地下通路を抜け、ベッドが壁沿いに配置された
オープンスペースにいた、西遊記を彷彿とさせる三婆トリオに
振り回されてから、面談室に入る。

患者が業務の一部を担当し、院内経費と相殺していること、
延命治療はせず、死が近づくにつれて上階に上がることなど、
小百合が病院のシステムについて説明する。
この病院には清潔さが漂い、終末期患者を扱う病院特有の、
重く澱んだ空気は希薄だと、小百合の説明を聞き、僕は感じた。

翌日、桜宮病院玄関前に車を止めると、小百合の一卵性双生児である
桜宮すみれが、入り口の階段に腰掛けていた。
案内された部屋には、若い女性が3人、年配の男性2人が各自の机で作業している。

彼らは患者であり、〈すみれ・エンタープライズ〉の社員だと
聞かされた僕は、碧翠院の本体が、有限会社〈すみれ・エンタープライズ〉
であり、見る角度で様変わりする碧翠院は、まるで螺鈿細工のようだと
感じる。

医療法人碧翠院桜宮病院。通称でんでん虫は、次第にその全貌を
目の前に現しつつあった。但しこの時点で僕が理解したのはその半分。
裏に蠢くもうひとつの素顔には全く気づいてはいなかった。

白衣から小太りの腹がはみ出ている、非常勤の皮膚科医。
実は厚生労働省の役人・白鳥圭輔。
東城大学の花形、救命救急センターのICU病棟からの紹介で
やってきたプリンセス・ターミネーター。
実は白鳥の部下である姫宮香織。
妙に息が合う2人は、患者の精神衛生を悪化させる最高のコンビ。
軽妙に絡み合う2人の活躍ぶり。

クライマックスで明かされる、過去の衝撃的な真実。
機械に繋がれ、なんとか呼吸している生をとるか、
人間らしい死を選ぶか、終末期医療に焦点をあてた
長編医療サスペンス、バチスタシリーズ第4弾。

螺鈿迷宮螺鈿迷宮
(2006/11/30)
海堂 尊
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

小さな図書館

小さな図書館   


書架が欲しい。
ずっと、そう思っていた。

単行本と文庫本が入るサイズのクラフトボックスに詰められ、
クローゼットのなかで息苦しく暗闇に覆われている本たち。
彼らに、朝陽や宵闇、流れるときを感じてもらいたい。
そして、わたし自身が、そこにある本の存在に安心したい。

そう思って、家具屋さんやホームセンター、ネットショップ、
通販にいたるまで、ウサギ小屋ならぬネズミ小屋のように
小さな我が家のデッドスペースに合う本棚を探したが、
ぴったりくる棚は見つからない。

それなら自分で作ってみよう!と、今度は100円ショップの
放浪旅に勤しんだ。
素材はなんでもよかった。単行本と文庫本が収まるサイズの
ケースがあれば、それを積み重ねて、本を並べられると
思ったのである。
けれど、クラフトコーナーにも収納コーナーやキッチンコーナーにも、
本が収まりそうなケースは見当たらない。

ではでは最後の手段。
今収納されているクラフトボックスの蓋を切り落として文庫本用に、
A4サイズの段ボール箱を半分に切って単行本用にと、
カッターと定規で工作開始。
そしてなんとか手作り書架完成!

外に出してくれてありがとう……本がそう言ってくれているような気さえする。
でも本当は、その部屋にいるわたし自身が幸福なのだ。
夢は、我が家に小さな図書館を作ること、いつか、きっと……

テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

グランド・フィナーレ 阿部和重

グランド・フィナーレ

今日、私は一人娘のちーちゃんに会いに行く。
ちーちゃんのために誕生日プレゼントも買った、
そうなのだ、去年の7歳の誕生日が、家族の最後のアニバーサリーと
なってしまった。

昨年末、デジカメで撮り貯めた、ちーちゃんの写真が収めてある
ポータブルストレージを、妻が無断で家から持ち出そうとしたために
揉み合いになり、彼女を突き飛ばして、私は妻に負傷をおわせてしまった。

結婚生活8年間、妻に暴力をふるったことはなかったのに、
私はドメスティック・バイオレンスの加害者と認定されてしまい、
家族も職も失った。

妻と娘は実家で暮らすようになり、私はちーちゃんと
会うことも許されなくなった。
写真に拘りすぎて身を滅ぼしたのである。

8回目の誕生日、ひどい土砂降りの中、酒屋の軒先で、きっと
今ごろは友人やケーキ、プレゼントに囲まれているだろう
ちーちゃんの姿を想像しながら、妻の実家を見つめていると、
昨年の出来事が浮かんできた。

その日、妻は仕事で、私は1日中ちーちゃんと共に過ごした。
『千と千尋の神隠し』を鑑賞して、天麩羅屋で夕食を摂り、
帰宅して2人で入浴したあと、ママを待つこともなく、
いっしょにベッドで眠ってしまった。

それから帰宅した妻の沙央里に、寝室に置いてあったデジカメと
ノートパソコンを見られてしまった。
ポータブルストレージには、ちーちゃんだけではなく、大勢の
子どもたちの肢体が収められていたのである。

午後6時半、ちーちゃんの友人たちが次々と玄関から現れ、
帰っていくところに、タクシーを降りた男が歓待され、
家に入っていった。
わたしがちーちゃんに直接贈るはずだった、超キュートな
メゾピアノのフォーマルドレスが入った袋を抱えて。

ちーちゃんに会うために上京した私は、夫婦共通の友人である
伊尻隼人と代官山のXで待ち合わせた。
ちーちゃんにプレゼントを渡してもらった成果を
聞き出すためであるが、伊尻からは、ちーちゃんは沢見を
怖がっているから諦めろと、窘められる。

奥のソファーには以前の仲間「みんな」がいた。
彼らとともにMDMAとモスコミュールを流し込むと、
自分がクズだという自覚が生まれてくる……
被害者面、ロリコン、下司野郎……

東京から帰ると肺炎に罹り、しばらく寝て過ごした。
ようやく外に出られるようになったが、18年間滅多に田舎に
帰らなかった私は疎外感の中、無心を心がけて徘徊を続けた。

雪が降るころ、公民館で亜美と麻弥という女児に出会い、
2人だけ学校指定の運動着を着ていた姿が、私の目をひいた。

そんな折り、小学校・中学校の同級生で、現在は神町小学校で教師をしている
黒木祐二から、結成50周年になる神町の子どもクラブが、芸能祭を開くので、
子どもたちの芝居の指導員を引き受けて欲しいという話を持ちかけられた。
黒木は沢見の性癖を知らなかったのである。

わたしは無理だと即答したが……

家庭内暴力、ロリコン、ドラッグ、失業などの時代背景。
家族と職を失った男のフィナーレは……

表題の『グランド・フィナーレ』のほかに『馬小屋の乙女』
『新宿ヨドバシカメラ』『20世紀』などを収録。

グランド・フィナーレグランド・フィナーレ
(2005/02/01)
阿部 和重
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

ふたたびの加奈子 新津きよみ

ふたたびの加奈子

『プロローグ 誕生』
デパート内の喫茶室は、2人用のテーブルに、壁を背にして
座る女性の1人客が多い。
食欲のつわりを覚え、突然グレープフルーツが食べたくなって
マタニティ・コーナーに行く途中で、喫茶室に入った。

グレープフルーツジュースはなかったので、レモンジュースを頼み、
飲みほしたとき、女性が入ってきた。
なにかおかしい。

その女性は4人用のテーブルにつき、彼女の前には
アイスコーヒーとバニラアイスが置かれた。
そしてアイスクリームをそっと右隣に押しやった。
誰かがそこにいて、その誰かにすすめているように見える。

アイスクリームは溶け、彼女は右隣を気にしている。
そして微笑みかけていた。
わたしは彼女から目が離せなくなってしまった。

レジで支払いを済ませ、彼女はエスカレーターで5階へ上がって行く。
あとを尾けているわたしの違和感は大きくなる。
エスカレーターの上で、彼女だけ左側を空けて立っているのだ。

子ども服売り場で店員に声をかけられた彼女は、きょろきょろと
何かを探しながら、「すみません」と店員に断って、通路へ走り出した。

もうかかわらないほうがいい、という警鐘を耳にしながら、
見届けたいという欲求が頭をもたげる。

化粧室の個室で動かずに様子をうかがっていた。
彼女の後ろ姿が見えたが、周りには誰もいない。
彼女は下方を見やり、優しい声で話しかけているのである。

『第一部 転生』『第二部 再生』『第三部 共生』『エピローグ 回生』
へと続く、愛する子を失った母の慟哭、一途な思い、
母と子の絆が描かれた長編小説。

以前アップした柴田よしきさんの『桃色東京塔』の解説を書かれていたのが、
本書の著者である新津きよみさんであり、お2人が友人関係にあって、
新津さんが信州のご出身だということを『桃色東京塔』を拝読して知り、
すぐに近くの書店さんに走って本書を購入した。

信州は本にゆかりが深く、出版社の創始者や文人も多い。
厳しい自然環境ならではこそ生まれる光景から持たらされる恩恵だろうか。
純白に雪化粧を施した北アルプスに想いを馳せながら、
本書の執筆をされたのかもと思うと、妙に親しみを覚える。

ふたたびの加奈子 (ハルキ文庫)ふたたびの加奈子
(ハルキ文庫)

(2012/11/01)
新津 きよみ
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ジャンル : 小説・文学

半七捕物帳 岡本綺堂

半七捕物帳

江戸末期に生まれた叔父は、怖い伝説をたくさん知っていたが、
武士が妖怪など信ずべきでないと、認めようとしなかったらしい。
そんな叔父もおふみの1件だけは気にかけていた。

おふみの1件を知る人はいなかったが、Kのおじさんが
絡んでいるらしかったので、12歳だった私も気になって、
しばしばKのおじさんを訪ねたが、聞かせてはもらえなかった。

それから2年後の寒い雨の日、Kのおじさんから、
明日の晩、遊びにおいでと誘いを受けたのである。
夕飯を済ませ、Kのおじさんを訪ねた。
ランプの前で他愛ない話をして、少しまじめになり、おじさんは
おふみの話をしてやろうかと言うのである。

彼はしばらく黙ってにやにや笑ってから、
おふみの1件を静かに話し出した。

私が二十歳の時、元治元年に京都で蛤御門(はまぐりごもん)の
いくさがあった。
その頃、松村彦太郎という旗本が屋敷を持っていた。
妹のお道は小石川西江戸川端の小幡伊織という旗本の
屋敷へ嫁いで、お春という3つの娘もいた。

ある日、そのお道がお春を連れ、小幡の屋敷を出てきて
しまったのである。
兄の松村は驚いて仔細を聞きただしたが、お道は蒼い顔を
しているばかりで何も言わない。
兄は仕方なく、小幡の屋敷へ妹を連れていこうとした。
すると兄の凄いけんまくに、お道が泣いてあやまり
説明し始めたのである。

7日前お道は、若い女が髪をびしょ濡れにして座っている
おそろしい夢を見た。
お春も怖い夢を見たらしく、
「ふみが来た。ふみが来た」と泣き出した。
その後4日間、2人が同じ夢を見たので、お道も不安と不眠に疲れ、
夫に相談するが、小幡は笑っているばかりだった。
それからも髪を濡らした女が現れるが、機嫌を悪くするだけで、
親身になってくれない夫の冷淡な態度に立腹して、里帰りしたと
言うのである。

お道が嘘をついているようにも見えず、小幡に逢って、
訊いてみるからと、松村はすぐ西江戸川端に出向いた。

そして、一応詮議することになり、小幡は屋敷中の者を集めて
問いただしてみたが、不得要領に終った。
翌日は古池の掻堀をはじめたが、これも無駄に終った。

仕方なくお道とお春を、その部屋に寝かすことにする。
松村と小幡が次の間で息を潜めて待っていると、お春が寝ついたころ、
「ふみが来た。ふみが来た」と、お春がけたたましい悲鳴をあげた。

松村と小幡が急いで襖を開けるが、闖入者の姿はなく、
2人は薄気味悪くなってきた。

そのうち、小幡の屋敷に女の幽霊が出るという噂が
ささやかれるようになり、Kのおじさんが事の実否を確かめに
屋敷にやってきたのである。

おふみの1件を調べることになったKのおじさんが、音羽の堺屋へ
出向いて、女の奉公人の出入り帳を調べているところに、岡っ引きの
半七がやってきた。
おじさんは半七に、小幡の屋敷の奇怪な出来事について詳しく話した。

翌日、音羽の貸本屋田島屋へ行き、小幡の屋敷へ貸し入れた読本や
草双紙と薄墨草紙を見せてもらう。
すると草双紙の挿絵に、武家の奥方らしい女が座敷に坐り、
その先には幽霊然とした腰元風の若い女がうつむいていた。
庭先には池があり、腰元の幽霊は髪も着物も濡れていた。
それはまさしくおじさんが描いているおふみの幽霊だった。

おじさんは草双紙をふところに入れ、半七とともに下谷の池の端へ出た。
2人は小幡が菩提所の浄円寺の住職に逢い、一連の出来事を打ち明け、
加持祈祷のすべはあるまいかと相談した。
おじさんと半七が住職を睨み付けると、彼は蒼くなりながら承諾し、
2人は出された精進料理と酒を鱈腹飲んで食い、寺を辞す。

「あの坊主は悪い奴ですから、こうして釘をさして置けば、
もう詰まらないことはしないでしょう」と、半七は云って、
池の端で別れた。

翌日小幡をたずねて、主人の伊織に逢い、草双紙と
坊主との一条を報告した。
すると小幡の顔色は陰り、お道を呼んで、新編うす墨草紙を
目の前に突き付けると、お道は蒼白になり一言もなかった。

お道と坊主・草双紙のあいだに、いったい何があったのか……

江戸時代における隠れたシャーロックホームズ・半七の鋭い眼力で、
難事件・珍事件を次々に解決していく時代小説。
70の短編が綴られた、捕物帳の教科書と言われる不朽の名作。

半七捕物帳半七捕物帳
(2013/10/03)
岡本綺堂
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テーマ : 本の虫
ジャンル : 小説・文学

菱餅すし

菱餅すし
    
作り方は画像をクリックしYouTubeにて

テーマ : レシピ
ジャンル : グルメ

虚貌 上・下 雫井脩介



少女は夢を見ていた。
お母さんもお父さんもいない。
足が動かない。
お母さんが殺されて、誰かが来る。
逃げなきゃ……。

少女の叫び声がして、園長と少女の弟が部屋に駆け込むと、
少女は喚きながらサッシを乗り越えようとしている。
2人は少女を止めようとしたが……。

名古屋の混雑が厳しいなか、荒は午前中に配送を終え、
一宮の養魚場に駆けつけると、時山と坂井田昇も姿を現した。
社長に勘繰られないために、2時には事務所に戻らないとならない。

荒は50万円の借金を作ってしまい、会社には内緒で金魚を卸す
アルバイトをしているが、とうていおぼつかないと思案に耽る。

3台のトラックが事務所に向かっているとき、突然時山の車が
急ブレーキをかけた。
ぼんやりしていた荒は慌ててブレーキを踏んでなんとか停まったが、
後ろから追突されて玉突き状態となり、時山の車にもぶつかってしまった。

車の損傷はそのままに、岐阜市の安岡興業で金魚を降ろして、
美濃加茂にある加茂運商に戻る。

昨日だけのお盆休み、荒は1日中雀荘に入り浸り、
有り金のみならず、借金まで作ってしまっのである。
31歳の荒は中学卒業後、職を転々としているうちに友だちとも
疎遠になり、雀荘で1日を過ごすような休日を送っている。
薄給ではあるが、荒は今の仕事に満足していた。

魚の仲買と運送を兼ねた事業をしている加茂運商の休憩室で
ニュースを観ていると、社長の気良から呼ばれ、3人はトラックの
傷を問い質される。

3台が並んで走ったために作られたような傷に気良から
「金魚か?」と訊かれ、坂井田は歯を剥きだしながら、
時山は冷静ながらも反抗する。

結局3人は解雇され、荒と坂井田は社宅であるアパートも
出て行かなければならなくなった。

2人は怒りを露に事務所を出て行き、荒は謝罪にも気をとめない気良に
殺意にも似た感情を覚える。

その夜、荒のアパートに時山と坂井田が日本酒を
持ってやってきて、気良殺害計画をもちかける。

翌日の夜、時山と坂井田は、時山の友人の弟だという
湯本弘和を連れ、荒の部屋を訪ねてきた。
決行は翌日、月曜日の夜8時に決まった。

昭和55年8月18日、月曜日。気良征彦の誕生日。
征彦は、12年前の昭和43年8月18日、集中豪雨で
立ち往生していた2台の観光バスが飛騨川へ転落し、
104人が命を落とした日に生まれた。

テーブルには料理が並び、高校生で姉の希代子からは
彫刻刀をプレゼントされた。
夕食が済み、征彦はうきうきして風呂場に入り、
「チャラララー、チャーララー……」と、
ルパン三世のテーマ曲を口ずさむ。
風呂場の外が騒がしくなり、征彦は口をふさぐ。
悲鳴?

車が気良の家に着き、時山が先陣を切り、坂井田、荒があとに続く。
坂井田が女の首に鉈を振り下ろし、湯本が希代子を追いかける。
希代子は屋根を転がり、下へ落ちていった。
時山がマッチをすって放り投げる。
湯本が風呂場の湯船にガソリンを注いだ。
背中が火だるまになった男が風呂場に駆け込み、蛇口をひねる。

14年後、服役している荒に1通の手紙が届いた。
差出人は兄の荒知良だったが……

そして21年後、荒は仮出所し、それから事件の加害者が次々と惨殺されていく……

さまざまな登場人物が絡み合い、見事に張られた伏線。
人の貌(かお)とは……
生まれ持った美醜ではなく、培われた生き方によって、
滲み出る内面。
醜い心理、病んだ心、過酷な現実、ファンタジーを糧に、
ある一点のみを見つめ続けて突き進む悲哀が滲む
エンターテイメントミステリー。

虚貌〈上〉 (幻冬舎文庫)虚貌〈上〉
(幻冬舎文庫)

(2003/04)
雫井 脩介
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虚貌〈下〉 (幻冬舎文庫)虚貌〈下〉
(幻冬舎文庫)

(2003/04)
雫井 脩介
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テーマ : 本の虫
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プロフィール

Hollyzard

Author:Hollyzard
本が恋人です。
料理は大嫌いですが、でも実は天才なんです(笑)。
外でおいしいお料理に出会うと、勝手にアレンジしてマイレシピにしてしまいます。